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比嘉 (普)剛
沖縄から発信しています。どうぞよろしくお願いします。 沖縄の伝統音楽が多くの人々に愛され、多くの人々に歌い継がれ、より香り高く、より発展していくことを心から願っています。
沖縄民謡「安里屋ユンタ」は八重山諸島の竹富島の古謡で、沖縄ではよく耳にする有名な曲です。ゆいレール(沖縄のモノレール)安里駅の車内放送にも使用されています。歌詞・曲調ともにバリエーションが豊富な曲ですが、一般的によく知られているのは星克作詞(アメリカ統治時代の立法院議員)、宮良長包作曲(沖縄師範学校教師)の「安里屋ユンタ」で、大阪のコロンビアレコードから発売され全国に普及したものです。歌詞が方言ではなく共通語での創作になっていて(歌い出し:サー君は野中のいばらの花かサーユイユイ)、有名アーティストによるカバーも発売されており、知っている方も多いのではないでしょうか。Ruon社の五線譜工工四では、この「安里屋ユンタ」を紹介しています。
伝統的な「安里屋ユンタ」は、竹富島で農作業など労働の場で歌い継がれてきたもので、約300年前の江戸時代に実在した安里屋クヤマと、彼女を気に入った目差主(みざししゅ)という階級の役人の物語を唄った民謡です。当時の沖縄は琉球と呼ばれ独立した国でしたが、実際には薩摩藩に間接支配されている状態で、八重山の各島にも役人が派遣され厳しい年貢の取り立てがありました。目差主とは与人(ゆんちゅ・村長)を補佐する役人です。
歌詞の内容は、首里から派遣されてきた目差主が安里屋クヤマを大変気に入り、賄い女(現地で世話をする女性)にしようとしますが、与人も自分のことを気に入っていると知ったクヤマは「私は与人がいいです。目差主は嫌です。」といって目差主を振ってしまいます。憶測ですが、賄い女を出した家は年貢が免除され、また財産を分け与えられることもあったので、家族のためにより階級の高い与人を選んだのでしょう。賄い女は当時の女性の憧れの的だったようで、2人から声をかけられたクヤマは大変羨ましがられたことでしょう。
歌はまだ続き、振られた目差主がクヤマに一泡吹かせてやろうと美女を探して奔走します。ちなみに歌は23番まであり前半部分がクヤマとのお話です。実は安里屋ユンタはクヤマが主人公ではなく、目差主が主人公の歌です。役人が悔しくて他の美女を探して回るという話が、厳しい年貢を課せられていた島民の憂さ晴らしになったと思われます。
その後の内容ですが、島中を駆け回りある村でイシケマという美女に出会い、喜び勇んだ目差主はイシケマを賄い女にしようと彼女の家に向かいます。「私の賄い女にくれないか」と親に訊き了解を得ると、喜んで飛び回りイシケマを連れて家に帰って行きました。作法正しく上品なイシケマを賄い女にして、クヤマのことを見返してやろうという目差主の思いは、めでたく遂げられました。
ちなみに、クヤマはその後、与人と結ばれ転任で与人が島を離れるときには、 記念として村の一等地に三反二畝の土地を与えられたといいます。その後は一生独身を貫き島の子供たちのために尽力し、77歳まで生きたそうです。竹富島には今でもクヤマの生まれた家とお墓が残っています。